消費されないこと

先日、古巣「星野リゾート トマム」への仕事のご提案で
久しぶりにお邪魔してきた。
体に10年染みついている空気はやっぱり心地よく、
いっぱいいっぱい空気を吸った(笑)
そしてタイミングを合わせて、占冠村にも寄って、テレビ番組取材のご相談も。
そこで、トマム時代からとてもお世話になっていて、大好きなお二人に会ってきました。
私の今の仕事の考え方、価値観は、今まで出会ってきたたくさんの方によって
作られているけど、そのお二人の影響は大きい。
その中でも、「いかに消費されないか」という問いは、私の物事を見るときの、
そしてPRプランを考えるときの道しるべになっている。
「消費」というのは怖い。
産みの苦しみとともに世に出て行く様々な新しい価値(商品やサービスだったりする)。
その価値は生まれたとき100%であって、そのあとの努力がなければ
あとはその価値を減らしていく(消費していく)ことになる。
1つ流行が生まれ、ただただ価値を減らされていくことで、
それは消費しつくされ、価値を失い、時代遅れの何かになるしかない。
世の中そんなのばっかりだ。
「消費されない」ことを一番考えて動いたのは、「雲海テラス」だったと思う。
メディアに取り上げられるようになり、なんだか雲海ブームになり、
どこの観光地も雲海のビジュアルを使い出した。
「雲海」という価値が、あちこちで使い、様々な形で消費され始めたと感じた。
早朝山頂に上がり、見えた、見えなかった、きれいだったー...だけじゃ、消費されていく。
トマムの雲海の価値を作らなきゃいけないと焦ったりもした。
その焦りが、北大との産学連携につながり予報精度の向上や学術的に雲海を説明する機会を作り、
また、山頂で体感する雲海ヨガに発展したり、
雲のしたカフェ&マルシェ(今はスタイルが変わったのか?)というストーリーによる
新しい価値を作ったりした。
雲海が出る・出ないだけではない、トマムならではのコンテンツになっていったと思っている。
「消費されない」ために、どうするか。
すごいな、いいなという事例は、
消費されないだけの体力というか深度というか、
上っ面の体験では消費できない何かというか、
消費者が消費できることなんて、ほんのちょびっとだったりする。
ポジティブに氷山の一角のような感じ。
その氷山って、やっぱりその土地や地域に根ざしているものだったり
もともとそこにある何かであったりする。
そして、総じて時間をかけて氷山を育て続けている。
全くまとまってないんだけど、
まとまったものを載せる場所じゃないし...ということで、
続きはまた今度にしよう。
次は「消費」という言葉を掘ってみます。
ビールのも。
写真は占冠村にできた、コミュニティカフェ「ぼっこてぶくろ」でした。