自分の一部になっているもの
今週水曜日に、札幌商工会議所付属専門学校の観光学科で、
1時間ほど、前職の経験含めて広報・広告についてお話する時間をもらっている。
専門学校生は、近い将来、北海道の観光業界で働くことになる子たちなのだけど、
私が話して彼らに響くこと、役に立つかもしれないことってなんだろうと考えても
あまりクリアならなくて、気がつけば、4日前...急いで資料を作るハメになっている(よくある話...)。
事前に一度講義を見学にも行っているので、彼らの顔は思い浮かぶんだけど、
1時間有意義に過ごしてもらうにはどうしたもんかなと。
自分だったらどんな話が聞きたいかなと想像してみたりもしたけど、
自分が20歳のときなんて、働くことに漠然とした思いしかなかったし、
華やかでなんだかキラキラした言葉にワクワクしたりしたくらいだった。
かといって、キラキラ華やかな話だけをするのも、なんか気持ちが悪い。
今だから考えられること、整理できていることを、上から伝えるというのはあまり得意じゃない。
私が考えていること、思っていることなんて大したことないと基本的に思っているから。
(まれに、すごく自信満々のときもあるけどw)
本当は、どんなことに興味があるのか、どういう話が聞きたいかを
ヒアリングしたい気持ちでいっぱいだったけど、実際に働いて自分でやらないと
聞きたいことなんか分からないよなぁとも思う(苦笑)
私が話せることを一方的に提供するプロダクトアウトなスタイルは、悪い意味で広告的。
本当は対話があって双方の知りたいこと伝えたいことをすり合わせていくwin-winのスタイルは、
広報・ PR的なアプローチだなと思った。
(なんか、最近ゴリゴリ広告的なスタイルの仕事の仕方をちゃんと勉強してこなかったなと
感じることが多くて、後悔していたりする。)
とりあえずお話の内容は「どんなことを考えながら、何をしてきたか」を
今の私が見たときにどう解釈できるかを整理してまとめることにした。
この作業って、自分の血肉になっているものを、もう一度引っぺがすというか、
改めて言葉にし直すってことで、毎度思うけど、大変なこと。
私の話を聞いてくれる専門学校生よりも、
話をする当の本人の方が100万倍勉強になるんだろうなと思うのでした(苦笑)。
改めて勉強するつもりで借りてきた、日本の広報PRの本。
言葉になっているものはありがたい。
