新しい投資
自分の力不足や未熟さを感じて凹むことも多く、
どうやったらもっとうまく出来るのか、
上手に仕事を動かすために今何が足りないのか、
そんなことを思うことが多い今日この頃。
ある意味、自分が当たり前に出来ることを日々やっているよりも、
自分の能力を超えた仕事に出会えている、
エキサイティングでかつ自分をより高めてくれる環境にいられていると
考えることも出来、とても恵まれているんじゃないかなと凹みつつもポジティブに考えることにしています(笑)。
凹んだりしながらもポジティブに考えているお仕事の1つとして
2年前から関わることが出来ている「札幌国際芸術祭」があります。
この機会によって、自分の方向性や可能性はかなり広がり、
面白くなっていると感じています。
そう思う理由は2つあります。
1つは、広報という仕事の広がり方。
芸術祭に関わることで、芸術やアートをどう広報できるか、
どう多くの人に自分ごとにしてもらえるかということに日々直面しています。
私自身、そもそも「アートってなんなんだ?」と考えたり調べたりしながら
今仕事をしているのが正直なところ。
「広報」という仕事はその「広報」の専門性だけでは仕事はできず、
別の専門性と結びついて初めて意味を持つもの。
もちろん、どの広報でも分野の知識は必要ではあるけどその中でも、IT関連、教育、医療、建築などは強い専門性が必要な分野に当たるんじゃないかな。
その中には「アート」「芸術」が入ってくると思っていて、程度は別にしてもアートの知識に紐付いた広報活動を求められる。
広報活動とは、広報の専門性と分野別の専門性が合わさって初めて成立するものだ。
(自分で書いてて再認識したので太字w)
アート系広報として活動している人は、日本でまだ数えるくらいしかいないらしい。
かつ、アート系広報はその専門性の強さもあって、アート系メディアに強いが一般的なメディアへのアプローチは得意ではない出来る場合もあるようだ。
私がもしアートの専門性を身につけることが出来れば、一般企業でやってきた広報スキルと合わせた、広報活動が可能になるかもしれない。これはチャンス!!
(まったくの未知数だけど...- -;)
もう1つは、世の中の見え方が面白くなるということ。
上にも書いたように、「アート」って何なのか、「芸術」って何なのかは未だによく分かっていないんだけど、作品って、世の中にあるフィルターをかけた「装置」みたいな要素があるのかもしれないなと感じていて、今まで自分が気づかなかったある切り口を強烈に引っ張り出してくれているものなんじゃないかなと少しずつ感じている。
それが作品がどうアートなのかとか難しいことはよく分かんないけれど(笑)、そうした「装置」に触れることで、自分の中のチャンネルが増えていく感覚が興味深い。
これって、教養にも似ているなと思っていて。
私の数あるコンプレックスの1つに「教養がない」ことがある。
あまり面白がって勉強してこなかったことを猛烈に悔いている(今から勉強するでももちろん遅くないことは分かっているけどw)。
教養がある人は、すごくたくさんのレイヤーで世の中を見れているんだろうなと嫉妬に近い感覚があって(笑)、例えば、教養のある人とどこか旅行に出掛けたときに、その人は私が見て得たものの何倍ものインプットを得ているのだと思う。
私:「わぁ〜、綺麗な景色〜」
教養のある人:「ほんとだね〜(この場所は以前***があった場所で、あの偉人もこの景色を見ていたんだろうな、あ、この地形は****だな、そういえば近くにある%%%山が0000年に噴火したはずだからこうなってんのかな?この風景は++++の絵画に似てるなぁ、あの作家が住んでいた場所に似ているのかなぁ...あーでもない、こーでもない....)」
同じものを見た中で、私が綺麗な景色だと思った時間ですごくたくさんの見えないことを見えているのだと思うと嫉妬しかない(笑)ズルい!!
あるお母さんが「なぜ勉強しなきゃいけないのか」に対する答えが素晴らしいとWEBで話題になったりしていたけど、教養教育の可能性というのは、そういう複数のフィルターを武器として持てることだと思う。
作品を見たり、アーティストの話を聞いたりすることって、
このフィルターの存在を感じさせてくれたり、気づかせてくれたりする。
先日も、音を作品にしているあるアーティストのお話を聞いたのだけど、
「情報がたくさん入っている音」に興味があると言っていた。
「へぇ〜」と思った。普段聞いている雑音をそういう風に考えることも出来るのかと。
「ピアノが出したソの音」というのは、大分情報が削ぎ落とされている。
今カフェでブログを書いているんだけど、
「ジャー」と水を流す音を聞くと、何かを洗っているんだろうなと推測できたり、どれくらいの水量で、どんな蛇口で(例えばシャワーっぽいなとか)、そこで食器を洗うカチャカチャという音は、マグカップを洗っているのかティーカップを洗っているのか、いや、お皿かな?とかその音から得た情報でたくさんのイメージを膨らますことが出来る。
確かに情報量が多い音かもって思う。
普段意識しなかったところに意識を持っていくことが出来るようになる。
普段見ていなかった、感じ取れなかった世界を感じられるようになる、
自分の中に新しいフィルターを獲得するってこと、
それってすごく豊かなことだなと最近感じています。
そんなような今までと違った気づきの機会をたくさんもらっていて、面白いと感じていることをもっともっと伝えられたら、もっとたくさんの人に感じてもらえたらいいのにという気持ちがふつふつと沸いてくるも、自分の力がいろいろ足りていないなぁと感じている中で、
5月から自分に新しい投資をしてみることにしました。
それは、「Think School」というアートマネージメント講座に通うこと。

1年間の講座で18万円( ! _ ! )くらいなので、結構な投資なのだけど、
先々の可能性と、今自分に足りていない専門性が少しでも増えていけば
ペイできるのではないかと思っています。
札幌国際芸術祭に関わることが無ければ、無かった選択肢でもあるので、
(もっと言えば、フリーランスにならなければ無かった可能性でもある)
自分の未来が色々な要因や選択で変わっていく醍醐味も
味わっているなぁと思うのでした。
このThink Schoolで得た色々なことを
ブログネタにもしていけたらいいなと思っております。
どこまで頑張れるか、何より「怠け者の自分」との戦いです(笑)