世の中って、カフェオレなんだな。
最近考えていることは、世の中、かなり曖昧なのだということ。
思っているよりも。
ちょこちょこ書いているけど、
私の最近のテーマは「アートってなんなのか?」を理解すること
なのだけど、それを追い求めていくと、
「****」は「◯◯◯◯◯」である!!と言い切れるものって
世の中にそう多くないことに気づいてきたのだ。
0(ゼロ)か100か、
白か黒か、
何が正義で何が悪か、
割り切れるものなんてなくて、
すごいたくさんのレイヤーがあって、たくさんの答えがあるんだ。
どれが赤で、どれは赤じゃないのか?
(人によって色の見え方が違うのは白と金のドレスの話題があったよね) 何が女性で、何が男性なのか?
(ちんちんが付いている=男っていうのは生物学上だけの切り口で、
そうじゃない見え方もあるよね)
どんな人生が素晴らしくて、どんな人生が貧しいのか?
(お金を稼いでいても貧しい人、お金がなくても豊かな人、それぞれ)
何が正しくて、何が間違っているのか?
(鬼退治に出た桃太郎にやられた鬼の子どもにとっては桃太郎は悪人
っていうイラストもあったなぁ)
すごく曖昧、というか、見え方って
人それぞれなんだよなぁとすごく感じるようになった。
なんとかくみんな同じ見え方をしていると思い込んでいるだけで、
実は一人ひとり、すごく複雑にものを見ていたり、捉えたりしているんじゃないか。
「何がアートで、何がアートじゃないのか?」
白か黒か、0か100か、はっきりさせることっていうのは、
世の中が曖昧であるように、アートっていうものも曖昧であるもの
かもしれないし、はっきりさせることの意味ってあまりないのかもしれない。
最近は、芸術祭にかかわるなかで、
様々な「あいだ」が私のなかでキーワードになる。
プロとアマチュアのあいだ、
アートとデザインのあいだ、
アートとサイエンスのあいだ、
アーティストと科学者のあいだ、
音楽と美術のあいだ...
たくさんのレイヤーがあって、たくさんの見方がある。
0か100かをはっきりさせるということは、
どっちにでも取れる面白さを無くしてしまうことでもあるんだろう。
Mr.Children「GIFT」の歌詞のなかで桜井さんが
「白か黒かで答えろという難題を突きつけられ
突き当たった壁の前で僕らはまた迷っている、迷っているよ
白と黒のその間に無限の色が広がってる ...」
と歌っている。
白か黒かを決めてしまうことは、
無限の色、無限の可能性を放棄するってことなのかもしれない。
グリコのカフェオーレのCMでは、
コーヒーも牛乳もどっちもいいから、「白黒つけないカフェオ〜レ」
と歌っている。
白か黒か決めないことが、美味しい選択だったりもする。
(私はコーヒー牛乳が好き)

世の中とても曖昧で、白黒ついていないものがたくさんあるなかで、
「何がアートで、何がアートじゃないのか」、
白黒つけようっていう方が無理があったなぁ。
そんなことを最近考えています。
面白いね。
ちょっとずつ言葉にしないと、忘れて行っちゃう感覚を
残していかないと...